【19歳】になりました!(連載02)

わたくし本多、2026年4月14日に19歳になりましたということでご報告を兼ねて投稿します!の二本目の記事です。
(この投稿は連載ものとなっていますのでまだご覧になってない方は#1をご覧ください)
映画「えんとつ町のプペル」と重なる想い
えんとつ町のプペルって?出会いは?
前編では、19年生きてきて色々と考えたりしてた時に「えんとつ町のプペル」に出会いました。
というところまで話しましたが、この章に入る前にまずはどんな話なのか。
どうやって出会ったのかをお話したいです。
あらすじ
厚い煙に覆われた“えんとつ町”。煙の向こうに“星”があるなんて誰も想像すらしなかった。
一年前、この町でただ一人、紙芝居に託して“星”を語っていたブルーノが突然消えてしまい、人々は海の怪物に食べられてしまったのだと噂した。
ブルーノの息子・ルビッチは、父の教えを守り“星”を信じ続けていた。
しかし、街のみんなに嘘つきと後ろ指をさされ、ひとりぼっちになってしまう。
そしてハロウィンの夜、彼の前に奇跡が起きた。ゴミから生まれたゴミ人間・プペルが現れ、のけもの同士、二人は友達となる。
そんなある日、巨大なゴミの怪物が海から浮かび上がる。それは父の紙芝居に出てきた、閉ざされたこの世界には存在しないはずの“船”だった。
父の話に確信を得たルビッチは、プペルと「星を見つけに行こう」と決意する。
しかしこの町の治安を守る異端審問官が二人の計画を阻止するために立ちはだかるが、父を信じて、互いを信じあって飛び出した二人が、大冒険の先に見た、えんとつ町に隠された驚きの秘密とは?
(映画えんとつ町のプペル公式サイト STORYより引用:https://poupelle.com/movie1/ )
出会いは当時、企業解説や対談動画などでホリエモンチャンネルを見ていて、ドハマりしていたのですが、その時に偶然おすすめで出てきた『えんとつ町のプペルCovered by 堀江貴文&寺田有希【歌ってみた】』という動画でした。
ホリエモンと言えば、ネットバブル全盛期時にイケイケで活躍してたけど、ライブドア事件で収監されたり、ロケット飛ばしたり、真面目にニュース解説してたり、野菜に関して敏感で「野菜食べてて偉いね」と言われたらぶち切れてカメラを殴ったり…というイメージで「色々やってる凄い人」という感じに思ってました。
そんなホリエモンが歌ってみたを!?という好奇心だけで動画をクリックしました。
そこで楽曲『えんとつ町のプペル』に出会いました。
まずは音楽としての美しさ、そして歌詞の素晴らしさ、とどめを刺されたのはこの曲をホリエモンが歌っているということでした。
意外と歌が上手かったなーとかっていうことじゃなくて、ホリエモンのこれまでの経験や苦労みたいなものを沢山動画で見て、それと自分の中で勝手に照らし合わせてしまい、「これだけ多くのチャレンジをして、潰されて…という経験をしてきながらもここまでやってこれているホリエモンがこんな歌を歌うなんて、堀江さんの人生そのものではないか!」と感じてしまったのです。感動。
曲の素晴らしさ、歌詞の素晴らしさについては次の記事で詳しく書こうと思っているので長くは書きませんが、そのストーリーと曲がマッチしすぎていて、この曲が好きになりました。
曲が好きになれば元ネタである映画にも興味が出るのは至極当然のことだと思うのですが、皆さんはどうですか?(笑)
私はなんでも好きになったものは隅まで知りたくなってしまうので、元ネタに興味を持ち始めました。
するとYouTubeのレコメンド機能はとても優秀で、次から次へとプペル関連動画を流してくる中でこの曲が映画の主題歌だということで、映画『えんとつ町のプペル』という作品に出会ったのです。
煙に覆われていた方が幸せカモ
曲が素晴らしいなと思ったのも、映画がいいなと思ったのも、「出る杭は打たれる」「逆らうな流されろ」ということがモロに表されていたからなのです。
煙に覆われた街に住む人々は煙の外に星があることを知らない。というかそんなこと考えてもいないのに、主人公のルビッチはお父さんの紙芝居で「煙の外には星がある」ということを知り、みんなにバカにされても信じていて、
ハロウィンの夜に現れたゴミでできたプペルはみんなと「姿形が違って、少し臭い。」だからみんなから距離を取られてのけ者にされていた。
そんな二人は異端とされて捕らえられそうになったり、肩身の狭い思いをしたりする物語なのです。
「みんなと」違う考えだから、「みんなと」違う形だから異端とされるのはまさに『出る杭は打たれる』ことなのではないかと思ったわけです。
私も前回書いたように、周りがやったことがなかったり、想像もしていなかったことをやってみたら変な奴だと白い目で見られたり、陰口を言われたり、あいつは目立ちたがり屋なんだと言われることもありました。
そっか。煙に覆われたままなら楽に過ごせたのかな。
そう考えるに至っても仕方ないですよね。
でもこの映画ではどうだったのか。
プペルとルビッチは必死に頑張って煙を晴らすために空飛ぶ船を整備して空を飛び、火薬を使って煙を晴らした。
煙が晴れた空には星が散っていて、ルビッチとそのお父さんが言っていたことは本当だったんだ。と街のみんながそう思ったのです。
陰謀論と真実
私は陰謀論者です。
きっとこの社会には権力者を操る大権力者がいて、裏の政府もあって私たちは踊らされている。きっと人口削減政策も行われていて、いつか殺されてしまうのだと。
私たちは大権力者たちに操られてはいけない。さぁ皆さん一緒に手を組んで裏の政府に立ち向かいましょう!彼らは悪です!…この記事を読んでいる皆さんはどう思いましたか?
本多ってヤバい奴じゃん。
そう思った人もいることでしょう。そうなんです。私はヤバい奴なんです。
だけどもし明日、裏の政府があったとテレビで報道されて人口削減の計画もあってあと数日遅かったら私たちは死んでいた。だなんていわれた暁には私は英雄になるでしょう。
「あのとき君が言っていたことが正しかったのだ!私が間違っていた!」と…。(以上の陰謀論は例え話です)
映画の中ではルビッチ達がその役割を担っているのです。
異端・陰謀論者とされていたルビッチ達が真実を知っていて、街の住民たちはこれまで真実とされていた『陰謀論』に騙されていたのです。
だって星があったから。
何故この街は煙で覆われていたのか。この物語にはバックストーリーがあります。
あらすじ
昔、ある国ではお金が一番価値を持っていた。食べ物は時間が経てば腐るがお金は腐らない。
だからその国に住む人々はお金を使わず、貯め込むようになっていき、貧しくなった街では強盗やスリ、詐欺や殺人が蔓延っていった。
そこで王様は腐らないお金に問題があると思い、時間が経てば腐るお金『エル』を発行した。
すると人々はお金を貯め込むことなく、積極的に使う(時間が経てば腐って使えなくなるので、使うしかない)ようになり、経済はよくなり、治安も良くなっていった。
しかし、これを良く思わない勢力もあった。それは『エル』以前に腐らないお金を発行していた中央銀行だ。
中央銀行は勝手なことをするなと王様に圧力をかけていった。
その圧力に嫌気がさした王様は、外界との連絡を断つために街のあちこちにえんとつを建て、煙で空を覆いました。
そうすることによって外界の存在を隠し、町はここだけだと人々を洗脳していき、独立国家を作り上げた。
町を守る素敵な王様がいたんだ!この王様は革命を起こしていたんだ!
私も最初はそう思っていました。しかし、結果どうなったのか。
「外の世界なんてない!」「上を見るな!」と人々を洗脳していき、自分の言うことを真実にしていったのです。
つまり、真実(外の世界はある)を虚偽(外の世界はない)によって人々を洗脳し、真実(外の世界はない)にしていったということです。
真実が虚偽になることもあるし、虚偽が真実になることもある。真実が虚偽だった可能性も、虚偽が真実だった可能性もある訳で、世の中、何が真実なのか分からなくなってきます。
地球が宇宙の中心であり、太陽、月、惑星がその周りを回っているとする【天動説】が真実で、太陽が宇宙の中心であり、地球を含む惑星がその周りを公転(および自転)しているとする【地動説】が陰謀論とされていた時代があるが、今では地動説が真実であり、天動説は誤っていたとされている。
地動説も、ルビッチ達も、陰謀論とされていたものが時代と共に真実へと変化していったのです。
私の人生の数年間でもそんなことがありました。
「お前のやりたいことは間違っている。」「お前の考えていることはおかしい。」
そんなことを言われていましたが、私がそれを成し遂げるとそう言った人達は何事もなかったかのように接してくるし、時間が経ってそれが正しかったとされたときはあたかも自分もそう思っていたかのような反応をしてきたり...。そんなことばかりでした。
私がこれまで経験したことは、自分やその周りのことだけなので、数日、数年経てば真実だったと証明できるのですが、世の中の定説が大きくひっくり返るようなことは数年どころか、生きているうちには証明されずして死んでしまうなんてこともあるでしょう。嘘つきと呼ばれながら死に、死んでから賞賛されるなんて誰が望むことなのでしょうか。
煙の向こうに星があることを生きているうちに証明でき、英雄となれたルビッチはなんて素敵で勇敢な少年なのだろうか。
ただの感動話じゃなかった
前章の最後に「英雄となれたルビッチはなんて素敵で勇敢な少年なのだろうか。」と締めましたが、これで終わりということ(感動したということ)ではなくて、社会の縮図が可愛らしいキャラクターと美しい映像によって映画となり、世の中に放出されたという皮肉を感じました。
社会の縮図というか日本の縮図かもしれません。
出る杭は打たれ、圧力をかけられる。
異なる考えを持つものは弾圧される。
真実と信じていたものは誰かの陰謀によって作り上げられたウソだったのかもしれない。
誰かの陰謀論が真実になった時には手のひら返し。
そんなストレートには言えないような作品だと私は感じました。
アマプラで三回作品をみましたが、感動というより鳥肌が立つような自分が生きていて感じてきたことが鏡写しされているような気分になりました。
感動話のように見えるこの作品は、見る人が見れば鳥肌が立つほどの強烈な皮肉を込めた作品なのではないかという感想で締めたいと思います。
次回は楽曲『えんとつ町のプペル』の魅力と感じたことを書きたいと思います。
西野さんもどこかのSNSで、えんとつ町のプペルは曲が先にできて曲に合わせて映画ができたと言っていた気がしますが、私もそう思います。
映画は数時間にかけて余計な(笑)コント的部分も含めて伝えられていますが、曲は5分程度の短時間でよりストレートに構成されているような気がして、個人的にはこっちの方が刺さりました。
ということを書こうと思うので、続編をお楽しみに!(次回がラストの予定!)

